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瞑想を始める人に

  死は終わりではない

決して終わりではない

死は道

人生は旅

魂は案内人

 

              霊的観点から考えれば、全ての求道者は初心者であるということを知っておいて下さい。初心者とは、より神聖なもの、より輝けるもの、より成就されたものへと成長していきたいという、強い望みを心に抱いている人のことです。絶えず継続する進歩を遂げたい、常に自己を超え、永遠なる彼岸の中へ入っていきたいとそのように思った瞬間に、人は永遠なる初心者となるのです。

              全くの初心者の場合は、霊的な書物や聖典を読むことから始められると良いでしょう。ただし自分が絶対に信頼を置いている霊性の師が書いた物でなくてはなりません。世の中には最高の意識を体得した師が存在していますから、彼らの書いた本を読めばきっと霊的な力や励ましを与えられるはずです。しかし大学教授や哲学者、そしてまだ啓示を受けていない者の書物は読むべきではありません。真理を伝える力を持っているのは、真理を悟った者だけです。そうでないと無知な人が無知な人を導くことになってしまいます。

              瞑想の実習をある程度してきている人と交際するのも良いことです。彼らは決してあなたを指導する立場にあるわけではありませんが、霊的に励まし力づけることはできます。瞑想中、彼らのそばに座っているだけでも、あなたの内的存在が外的知識なしに、その人からある瞑想的な力を引きだし、援助を受けとるのです。

              初めの内は瞑想のことすら考えないで下さい。ただ、一日の内で自分が一番落ち着ける時間を設け、その5分間は誰のものでもなく、自分の内的存在に属しているのだと思って下さい。規則性が最も大切なのです。定まった時刻に規則的に実習して下さい。そして集中することから始めます。そうしないとマインドを平静にし、空にしようとしたとたんに、数えきれないほど、たくさんの良くない考えが入ってきて、瞑想することなどまるで不可能になってしまいます。集中は自分の内に入ってくる良くない考えに挑戦するということですから、初めは数分間集中の練習だけしていれば、数週間あるいは数ヶ月後には瞑想できるようになります。瞑想を始めるときには、自分は子供であると考えるようにして下さい。子供のときにはマインドはまだ発達していません。12、13歳頃になるとマインドは、知的レベルにおいて作用し始めますが、それ以前の子供というのは全くハートだけです。そして霊的生活や瞑想に対して何の先入観も持ってはいませんから、全てを新しく両親から学びたがるのです。

              まず自分は子供で花園の中に立っていると考えて下さい。この花園は、あなたのハートのことです。子供は何時間でも花園で遊んでいられます。その子は花から花へと遊び回りますが、それぞれの花の美しさと香りが喜びを与えてくれるので、そこから離れようとしません。ハートの中に花園があって、あなたは好きなだけそこにいることができるのです。このようにして、あなたはハートの中で瞑想することを学ぶのです。ハートの中にとどまることができれば、あなたは自分の内で叫び求めている一つの声に気づくでしょう。この内なる叫びは渇仰心であり、瞑想の秘訣なのです。多くの場合、大人が泣いてもそれは誠実なものではありません。しかし子供がお菓子を欲しがって泣いている場合はとても純粋です。そのときはお菓子はその子の全世界なのですから、あなたがその子におこづかいをいっぱい上げても満足はしないでしょう。同様にあなたが心の底から平和と光と真理を叫び求め、それがあなたを満足させる唯一のものであるならば、永遠普遍の父であり母である神が必ず助けにきて下さいます。いつも自分は子供のように無力であると思って下さい。そう思っていればすぐに誰かが助けにきてくれるはずです。子供が迷子になって泣き始めれば、誰か心の優しい人が道を教えてくれます。自分は道に迷っていて外はひどい嵐だと思って下さい。疑い、恐怖、不安、心配といった否定的な力があなたに襲いかかってきているのです。しかし心の底から叫び求めれば、誰かが助けにきてどうすればあなたの家、すなわちあなたのハートへたどり着けるかを教えてくれます。その誰かとは、神つまりあなたの内なる導き手のことなのです。

              神は、形あるものとしても、無形のものとしても現れることができます。しかし瞑想する場合、至高なる神は人格を持つ存在であると考えるべきです。非人格の面から神を知ろうとすると、その広大さにあなたは混乱してしまうでしょう。ですから人格神として考えることから始めて下さい。いずれそこから非人格神としての神を知ることができるようになります。

              人のソウル(魂)はそれぞれ自分の瞑想法を持っています。ですから私の瞑想法はあなたには適さないし、あなたのやり方は私には合わないでしょう。瞑想をしても効果がないと言う求道者がたくさんおりますが、それは自分に適した瞑想を行っていないからなのです。指導を与えてくれる霊的師を持たない人は自分の内に深く入っていき、ハートの一番奥から自分の瞑想法を獲得しなければなりません。深く入っていけば一つの声、あるいは一つの考えを受けとるはずです。それができたら次に、その声または考えの中へ深く入っていき、それが何の疑問も起こさず喜びや平和を与えてくれるかどうか確かめて下さい。そのような感じを受けることができたら、それは霊的生活においてあなたを助けてくれる本当の内なる声です。

              悟りを体現した魂を持つ師についている人の場合は、師の沈黙の目差しが瞑想の方法を教えてくれます。真の師は、言葉で説明したり瞑想の具体的形式を与えたりする必要はないのです。ただ、あなたに対して瞑想し、内的に教えるだけであなたの魂が彼の中へ入り、そこから学びとるのです。真の霊的師は皆、沈黙の内に瞑想の指導を行います。

              あなたは霊的生活において今は初心者ですが、この先もずっとこのままだと考えてはいません。誰でも最初は初心者です。規則的に集中と瞑想の実習を行っていれば必ず進歩します。絶対に落胆しないで下さい。規則正しく誠実に瞑想し、母親を求めて泣く子供のように神を叫び求めることができるなら、あなたはゴールの方に向かって行く必要はありません。ゴールの方があなたの所へやってきてあなたの目の前に立ち、それは本当にあなたのものであると告げてくれるのです。